
目黒には、歌舞伎の題材になった事件に縁の深い場所があります。今回は、怪談「累ヶ淵(かさねがふち)」にまつわるお話です。
渋谷駅から東急東横線に乗って3駅目祐天寺駅を降りて南に約300メートル進むと駒沢通りに出ます。この目黒税務署前の交差点を左に曲がって約200メートル進むと、祐天寺に着きます。
祐天寺は、「祐天上人(ゆうてんしょうにん)」の弟子である「祐海上人(ゆうかいしょうにん)」が、新しい寺の建立を制約していた江戸幕府に働きかけ、目黒にあった増上寺の末寺「善久院(ぜんきゅういん)」を買い取り、「祐天上人」の没年を開山(創建年)とする寺として創建しました。
「累塚(かさねづか)」は、祐天寺の表門をくぐり、仁王門(目黒区指定有形文化財)の右横にあります。
この塚は、『色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)』(4代目「鶴屋南北(つるやなんぼく)」作)の復活上演が好評を博したことを記念して、大正15年(1926年)に歌舞伎俳優によって建立されたものです。
「累(かさね)」に関する実話は、『死霊解脱物語聞書(しりょうげだつものがたりききがき)』によれば、次のような因果物語です。
江戸時代の初期、下総国岡田郡羽生村(しもうさのくに おかだぐん はにゅうむら)(現在の茨城県常総市羽生町)に「与右衛門(よえもん)}という百姓が住んでいました。
妻が早くに亡くなったため、隣村から「お杉(すぎ)」という未亡人を後妻に迎えました。
「お杉」には「助(すけ)」と言う3歳の子供がいましたが、足が悪く、容姿もまた大変醜かったそうです。
「与右衛門(よえもん)」は「助(すけ)」を忌み嫌い、子どもを捨てるか、家を出ていくかを「お杉(すぎ)」に迫り、これに悩んだ彼女は「助(すけ)」を横曽根村と羽生村境の水路に突き落とし殺してしまいます。
翌年、彼女は女の子を出産し「累(るい)」と名付けます。
ところが「累(るい)」は殺された「助(すけ)」に姿形がそっくりに育ちます。
それを見た村人は、「るい」ではなく「助」が累なる「かさね」だと陰で噂しました。
ある日、「谷五郎(やごろう)」と言う流れ者が近くのお堂で病気で苦しんでいることを聞き、心優しい「累(るい)」は「谷五郎」の看病をします。やがて病気も快復し、お礼の気持ちからしばらく畑作業を手伝っていました。
それを見た村長の勧めで「累」は谷五郎を婿に迎え、「谷五郎」は2代目「与右衛門」を襲名します。
「与右衛門」は「累」を大切にし農作業も熱心に頑張りましたが、流れ者の性か、次第に働かなくなり、その醜さを嫌い「累」につらく当たるようになりました。
正保4年(1647年)8月11日、「与右衛門」は、「累」とともに刈り豆を収穫した帰り道、重い豆を妻に背負わせておいて、川に突き落とし、のどを締めて殺してしまったのです。この事件は、醜い妻を殺して財産を手に入れ、美しい妻を迎えようという、いわば色と欲との2股かけたものだったのです。殺害後、「与右衛門」は何食わぬ顔で、「累」の死体を菩提寺「法蔵寺(ほうぞうじ)」に運び入れ、急死と偽って埋葬しました。事件はこれで終わってしまうかに見えました。しかし、これが数十年後に大事件となるのです。
新たに結婚した「与右衛門」でしたが、新しい妻は何人娶っても死んでしまいます。6人目の妻を娶ってやっと女の子「菊(きく)」が生まれます。この妻も「菊」が12歳の年に死んでしまいました。「与右衛門」は「菊」に婿をとって楽隠居をしようと考え、「金五郎(きんごろう)」という男と結婚させます。
ところが、明くる寛文12年(1672年)、の正月、「菊」が急に口から泡を吹いて苦しみ始めました。そして、恐ろしい声で「我は『累』である。『与右衛門』を取り殺さずにはおかない」などとわめいたので、「与右衛門」と「金五郎」は菩提寺「法蔵寺(ほうぞうじ)」に逃げ込みました。どんな祈祷にも退散しない、この死霊に取り憑かれたとされた「菊」を助けたのが、飯沼「弘経寺(ぐぎょうじ)」に来ていた「祐天上人(ゆうてんしょうにん)」でした。「菊」の髪を手にくるくると巻いて押さえ付け、強引に念仏を称えさせ、死霊を成仏させたと言います。「祐天上人」はその後、「累」の母の連れ子でやはり非業の死を遂げていた「助」の霊も救済したと伝えられています。
こうして、60年にわたって繰り広げられた、親が子を、夫が妻を殺害に至るという陰惨な出来事は幕を閉じたのです。「法蔵寺」には、この伝承ととともに、「助」「累」「菊」の3人のものと伝わる墓があり、また、「祐天上人」が死霊の解脱供養に用いたという数珠(じゅず)、累曼陀羅(まんだら)、木像などが保存されているそうです。
この事件は、150年後の「色彩間苅豆」が上演された文政4(1821)年以後、この話は広く知れ渡り、三遊亭圓朝の「真景累ケ淵(しんけいかさねがふち)」など多くの物語の題材となったといわれています。