
今回は、有名な落語「目黒のさんま」をテーマに取り上げます。
江戸時代、目黒という場所は、遠くに富士山が見え、風光明媚な観光地でありました。
また、「江戸の三富」、今でいう宝くじを売っていた目黒不動があり、大変にぎわったそうです。
第8代将軍徳川吉宗の時代になりますと、葛西、岩渕、戸田、中野、品川に比べ、目黒は、鷹場(鷹狩りをする場所)の中でも徳川将軍や大名に人気であったようです。
歌川広重の浮世絵にも「駒場野」「爺ヶ茶屋」「千代ヶ池」「目黒不動之図」などに江戸時代の目黒の風景を見ることができます。
江戸時代は300年もの間、太平の世でありましたから、幕府が大名たちに鷹狩りを奨励することで緊張感を持たせようとした節があります。
そんな時代ですから、殿様たちは、屋敷の中では特にすることもなく、といって江戸市中を歩き回ることもありませんでしたから、世の中のこと、庶民の生活のことはあまり知りません。
もちろん、鯛ばかり食べていたお殿様たちは、庶民が食べる魚がどこで獲れるのかも知る由もございません。
そんなお殿様、雲州公にまつわる落語「目黒のさんま」。二代目柳家小さん(柳家禽語楼)が演出したものをご紹介します。

雲州松江十八万石の第八代城主・松平出羽守(まつだいら・でわのかみ)という殿様は、月潭(げったん)公とも呼ばれ、文武両道に秀でた名君だけあり、在府中(江戸滞在中)は馬の遠乗りを欠かしませんでした。
ある日、殿様は、早朝から、目黒不動参詣を名目に、二十騎ほどをお供に従え、赤坂御門(あかさか・ごもん)内の上屋敷(江戸市中の本宅)から目黒まで馬で早駆けをいたしました。
殿様は、参詣を終えましたが、昼時までには時間がありますので、あちらこちらと散歩をしていたそうです。
一行がいつしか目黒不動の地内を出て、上目黒辺の景色のいい田舎道にかかった時、雲州公が、急に「戦場の訓練に息の続くまで駆けていき、自分を追い抜いた者には褒美を与える。」と宣言した途端、殿様自ら走り出したので、家来どもも慌てて後を追いかけました。
ところが、家来どもは腰に大小と馬杓を差したままだから、なかなかスピードが上がらない。
結局、ついて来れたのは三人だけ。
殿様は、松の切り株に腰を下ろして一息つき、遅れて着いた者に小言を言ううち、にわかに腹がグウと鳴った。
陽射しを見ると、もう八ツ(午後二時)過ぎらしい時分。
その時、近くの農家で焼いているサンマの匂いがプーンと漂ってきたから、たまらない。
殿様のこと、下魚(げざかな=身分の低い人々が食べる魚)のサンマなどは見たこともない。
殿様「あれは何の匂いじゃ?」
家来「おそれながら、下様でさんまと申し、丈は一尺ほどの細く光る魚でございます。近所の農家で焼いておると存じます。」
殿様「うむ、しからば、それを求めてまいれ。」
家来「それは相かないません。下様の下人ども(=身分の低い庶民)が食します魚、俗に下魚(げうお)と称しますもの。高位の君(こういのきみ=身分の高い殿様)の召し上がるものではございません。」
殿様「その方は、『治にいて乱を忘れず(平穏で順調な時であっても、万が一の時のための用意・心構えを怠ってはいけない。)』の心がけがない。もし戦場で敗走し、何も食うものがないとき、下様(げざま=身分の低い人々)のものとて食わずに餓死するか。大名も下々(しもじも=身分の低い人々)も同じ人。下々(しもじも)が食するものを大名が食せんということはない。求めてまいれ。」
家来はしかたなく、匂いを頼りに探しに行くと、あばら家で農民の爺さんが五、六本串に刺して焼いておりました。
家来は、弁当も持たず出かけてしまったので、高貴なお方がさんまを食したいとの仰せだから、譲ってくれと頼んだそうです。
すると、爺さんは、「人にものを頼むのに笠をかぶったまま突っ立っているのは、礼儀を知らないニセ侍だから、そんな者には骨一つもやれねえ。」と断りました。
殿様が名君だけに分別のわかった侍だから、改めて無礼を詫び、やっと譲ってもらって 殿様の御前へ差し上げることができました。
殿様、食べてみると、これが空腹だからうまいのうまくないの。
これ以来病み付きになり、屋敷内に四六時中もうもうと煙が立ち込めるありさま。
しまいには江戸中のさんまを買い上げてしまいます。
それでは飽き足らず、江戸城で諸大名に、さんまの講釈を並べ立て、さんまを知らないのは世間知らずだというものだから、大名の一人、黒田筑前守(くろだ・ちくぜんのかみ)は面白くない。
彼は、負けじと各地の網元に手をまわして買いあさったが、重臣どもが「このように脂の多いものを差し上げてはお身体に悪い。」と余計な気をまわし、塩気と脂を残らず抜いて調理させたから、パサパサでまずいことこの上ない。
これに怒った黒田公、江戸城で殿様をつかまえ、あんなまずいものはないと文句を言う。
殿様「して貴殿、いずれからお取り寄せになりました?」
黒田公「家来に申しつけ、房州の網元から取り寄せた。」
殿様「ああ、房州だからまずい。さんまは目黒に限る。」